「食」関連トピックス
現代に甦る日本最古の医学書「医心方」に学ぶ健康法
〜よこはま健康セミナー漢方に学ぶ

2013年6月9日(日)、横浜ワールドポーターズで、古典医学研究者の槇佐知子氏が日本最高の医学全書「医心方」について解説した。


国宝級の医学全書

「医心方」をご存知だろうか。平安時代に宮中で医官として活躍し、その時代には珍しい80歳以上の長寿を全うした丹波 康頼(たんば やすより:912年〜995年)が中国の文献から編纂したという、日本に現存する最古の医学全書で、まさに国宝ともいえる貴重な書物である。
平安時代といえば紫式部や清少納言、安倍晴明が知られる。

丹波康頼は彼らよりも少し先輩で安倍晴明の9歳年上、彼の晩年期に紫式部が生まれている。

1000年もの間、翻訳されることがなかった

「医心方」は病気予防方法や治療方法だけではない。医師の心得、養生法、良い子どもを持つ方法、生み分け法、仙人になる方法、不老長寿で生きる方法、美容法、食事療法、運動療法など美容と健康にまつわるすべてが網羅されている。また、中国医学やインド医学、熱帯アジアやアフリカに及ぶ広域な薬剤や治療法までもが記されているという。

おもしろいところでは、人相の見方や名前の付け方、占いまであるという。占いといっても現代のような占いではなく、より良く生きるための叡智であり災難を避ける命名法や星宿による人生の読み方などである。とにかく膨大な内容だが、この偉大な書が1000年もの間、翻訳されることがなかった。

40年かけて翻訳

2013年は丹波康頼生誕1100年という記念すべき年でもあり、ようやく初訳が完成した。翻訳には40年の歳月がかかり、訳者である槇氏自身は今年80歳を迎える。槇氏自身も、この膨大な資料の翻訳に挑むにあたり、自らの人生の最中には終わらせることができないと覚悟していたというが、内容の魅力に取り憑かれ、まさに寝食を忘れて没頭した40年であったという。

この書に、もし本居宣長が出会っていれば、南方熊楠が読んでいれば、森鴎外が初訳に取り組んでいれば、柳田邦男や折口信夫が読み解いていたら、和辻哲郎が出会っていれば……日本の現代は違っていたものになったであろうと槇氏は語る。

「風紀を乱す書」として発禁処分に

偉大な先人たちが「医心方」に眼をとめなかったのは、この書籍が長く門外不出の秘本だったからである。江戸幕府の崩壊後、そもそも日本に根付いていた漢方医学は西洋医学の普及で低迷するなど紆余曲折の歴史背景がある。

そして明治39年(1906年)日本医師会の創始者である土肥慶蔵他3博士の名ではじめて「医心方」が刊行された直後には、なぜか「風紀を乱す書」として発禁処分になってしまったという背景もある。

この「医心方」の最大の特徴はその難解さである。「医書は心ないものが乱用しないよう、故意に難解にする」というのは中国やインドでも同じであり、文字だけでなく薬名などもすべてが難解に、まるで謎解きのように記されている。

訳がある程度形になってからも出版社が数十年も見つからなかった。槇氏自身も40年の歳月の間に思いがけない怪我や病気もした。しかしそれらの不運を古代医術の実践に役立てることを忘れなかったという。

極度の冷え性を呼吸法で治し、胸骨の骨折や加齢による眼や耳の不調を食事療法で悪化させることなく、この偉業を成し遂げたという。80歳でハイヒールを履き、元気にはつらつと講演する槇氏の姿には会場からも驚きの声が漏れた。

翻訳された「医心方」は全30巻、全33冊から成る。その各概要は以下の通りである。

巻1A:医学概論(ヒポクラテスの誓いをしのぐ東洋の医の理論、医学と薬学の基礎や心構えなど)。
巻1B:薬名考。巻2A:鍼灸T(丹波氏自身が鍼博士だったため、自序がある)。
巻2B:鍼灸U(消化時間、男女、年齢、体質への配慮まで)。
巻3:風病篇(季節に反する邪風による損傷、頭痛や神経症、皮膚の異常など。宗教・祭祀の原点含む)。
巻4:美容篇(現代人も驚く美肌パックや毛はえ薬。しみ、そばかす、うおのめ、なまず肌、わきが等々の治療)。
巻5:耳鼻咽喉眼歯篇(虫が耳に入った場合の対処。白内障、虫歯、出血、吐血、唾血、口臭、浮腫等)。
巻6:五臓六腑気脈骨皮篇(胸腹を脇・心・腎・肝・肺・胃・胆・脾・膀胱に分け、患部別に処方。薬湯、薬酒も紹介)。
巻7:性病・諸痔・寄生虫篇(男性の性器にかかわる諸病)。
巻8:脚病篇(脚気、リウマチ、麻痺、あかぎれ等)。
巻9:咳漱篇(喘息・呼吸微弱・嘔吐・食飲不能・しゃっくり・胃酸過多・痰など)。
巻10:積聚・疝か・水腫篇(結石による激痛のほか、心筋梗塞、潰瘍、浮腫、腹水、癌、回虫、胃炎など)。
巻11: 痢病篇(日射病、暑気などの原因と分類)。巻12:泌尿器(多尿、尿閉、失禁、血尿、血便など)。
巻13:虚労篇(煎薬・湯薬・丸薬・浣腸・摩擦などによる疲労回復法など)。
巻14:蘇生・傷寒篇(突然死や首つり凍死、水死からの蘇生法、物の怪の種類、薬だけでなく呪術でも治療)。
巻15:癰疽篇 悪性腫瘍・壊疽(癌・糖尿病・結核・性病など)。巻16:腫瘤篇(口の中のできもの、結核、潰瘍など)。
巻17:皮膚病篇(ホメオパシーや灰治療などを含む)。
巻18:外傷篇(やけど、打ち身、くじき、骨折、毒虫、毒蛇、獣による外傷。狂犬病や破傷風なども)。
巻19:服石篇1(道教の修行者の日常の禁忌など)。
巻20:服石篇2(当時で100以上の薬害が判明していた。その解毒法)。
巻21:婦人諸病篇(乳房や子宮のポリープ、低年齢での性交や出産の弊害など)。
巻22:胎教篇(良い子を産むための胎教、妊娠月別禁止事項、つわりの治療法、胎児と妊婦の栄養、流産防止法、妊娠中の諸病の治療について)。
巻23:産科治療・儀礼篇(穢れの思想の原点、出産時と出産前後の禁忌、呪法、儀礼、難産、逆子、産後の諸症に関する理論と対処法)。
巻24:占相篇(不妊対策、男女の生み分け、寿命、父母兄弟姉妹との関係など)。
巻25A:小児篇T(出生児の大半が6歳前に死亡した当時の命名法や儀礼、呪術など。先天的疾病なども含む)。
巻25B:小児篇U(夜泣き、ひきつけ、皮膚病、けが、誤飲などの応急処置など)。
巻26:仙道篇(遭難時に役立つ術や長生き術、美顔術、鬼を避ける術など。仙人からのさまざまな処方)。
巻27:養生篇(健康、養生に対する老荘哲学の理念。精神衛生、未病対策、姿勢、歩行、坐臥、衣食住のあり方、罪の意識、呼吸法、ヨガ、太極拳など)。
巻28:房内篇(性愛の書と誤解された巻。不妊や良い子を産むためのバイブル)。
29:中毒篇(四季に適した食事や飲食の禁忌、食中毒、キノコ中毒、異物嚥下の救急法、毒物を飲んだ時の解毒など)。
巻30:食養篇(天地陰陽の交わりにより五行の気を享けて生じた五穀24種類などの効能と諸注意。食養生と食文化)。

「医心方」は有史以来、人類はどのように疾病や災厄の恐怖と戦い対処してきたのか、医学・薬学のみならず、文学や人類学、植物学、宗教学、哲学の全てを含む1000年のタイムカプセルであると槇氏は語った。

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